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【アラベスク】  第5章 古都の夢



第3節 仮面の下 [5]




 その声の大きさに笑う慎二にも、智論は怯まない。開き直るように胸を張る。
「あなたを良く知る人物の一人として、聞いているの」
「良く知る?」
 何を知っているのだ?
 そんな含みを持たせた乾いた笑み。智論は思わず舌を打つ。
「えぇ、そうよ。私はあなたを知っているわ。少なくとも」
 そこで一度言葉を切り、廊下の向こうへ視線を投げる。
「あの子よりわね」
 ここは嵐山の旅館。玄関の横の小さな個室。
 扉はないので大声を出せば外にも漏れようが、仕切りの壁があるため行き来する人々から見えることはない。
 テーブルを挟んで椅子が四脚。だが、座っているのは慎二と木崎。智論は立ったまま見下ろしている。
 パーティーの後、慎二と美鶴はホテルで着替え、休憩のために戻ってきた。
 もうすぐ夕食なのだろう。
 出汁(だし)の香りや炊事場の音が、腹を叩く。
 夕食は慎二の部屋で取ろう。観光は明日でもできる。まずはゆっくり休むよう伝え、美鶴と別れて部屋で寛ごうとしていた矢先だった。
「慎二様」
 襖の向こう。木崎の声に、思わずピクリと身体を動かす。
「なんだ?」
 迂闊(うかつ)にも驚いてしまったことを悟られぬよう、務めて平静に答える。
「お客様でございますよ」
「客? 俺に?」
「はい」
 だが、木崎はそれ以上は答えない。誰なのかは告げない。
 気に入らないな。
 小さく舌を打ち、座布団に胡坐をかいたまま仕方なく問う。
「誰だ?」
「智論様にございます」
 その言葉に慎二は目を丸くし、だがやがて破顔した。
 こんなに早く食いついてくるとは思わなかった。智論は相変わらず、単純だな。
 そう思うと、笑いが腹の底から競り上がってくる。
 そうだ。女なんて、狡猾だが単純だ。だからいちいち、真面目に相手をするコトもない。彼女たちの言葉を、鵜呑みになどすべきではない。
 その存在に、気を配るような価値はない。





「自惚れてくれるのはかまわないけど」
 その声が、慎二の思考を現実へと引き戻す。目の前から、智論の澄んだ瞳が射抜いてくる。
「普通こんなイベントに誘われたら、誰だって期待するわ」
「何を?」
「相手が、自分に特別な感情を持っているんじゃないかってね」
「それこそ自惚れだね」
「普通よ」
 智論の切替しに、だが慎二はゆったりとその長い足を組み替える。
「お前だったらそうかもしれないが、彼女はそこまでバカじゃないさ」
「バカとかバカじゃないとかって、そういう問題じゃないの」
「じゃあ、そこまで自惚れじゃない」
「そうであるコトを願いたいわね」
 突然肯定ともとれる言葉をかけられ、さすがに絶句してしまう。
 一方、ようやく厄介な口車(くちぐるま)を止めるコトに成功した智論は、うんざりと息を吐いた。
「彼女がそういった(たぐい)の少女であるならば、むしろありがたいわね。傷つかなくて済むもの」
「誰が?」
「彼女が」
 当たり前でしょ? と言わんばかりに顎をあげる。
「大迫さん。美鶴さんがよ」
 蝉ではない、小さな虫の声がか細く響く。入り込む風は気休め程度で、涼を味わうほどではない。
 廊下からエアコンの冷風が流れてはくるが、入り口が開け放してあるため、流れてしまう。
 ゆえに冷え過ぎることもないのだが。
「万が一、彼女があなたに好意でも持ってしまったなら、それこそ大変だわ」
「どうして?」
「あなたに傷つけられるもの」
 慎二はやれやれと目を細める。
「ずいぶんな、言われようだな」
「間違ってないわ」
 ビシャリと言い放つ。
「今のあなたは、女の敵よ」







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